整った課程は、その子を前へ進め続けられます。これは本当の値打ちです。課は順に並び、問題は段階がつけられ、つまずいた子は保護者が先生になるのを待つかわりに、一歩ずつの解き方を見られます。
それだけでできないのは、 どのように その子が考えているかを見ることです。
Asymptodeでは、すでに何かの課程を持っている子たちと学んでいます。家庭学習の課程、学校の範囲表、あるいは課ごとに案内してくれるアプリです。Teaching Textbooks はそうした整え方のよい例です。教え、採点し、説明できます。保護者が選ぶのは、重い教科を自分の手から外してくれるからでしょう。
隙間はあとで見えてきます。その子は課を終えていきます。成績の記録は悪くありません。そこへ少し違う問題が現れ、あるいはテストがその考えを説明せよと言い、理解がそこにないのです。それは課程の落ち度ではありません。自動の支えの限りです。
機械は答えを出せます。1対1の指導者は、その答えがなぜそれでよいのかを分かる助けをします。
自動の指導が届かなくなるところ

自動の指導は練習に役立ちます。いちばんの限りは、たいてい答えに応えるのであって、その子の考えには応えないことです。
物理でいつも違う公式を選んでしまう子を考えてみてください。機械はその問いを不正解とし、正しい手順を流せます。代数の一行を飛ばしただけなら、それで助かります。けれども本当の問題が思い違いなら、足りません。問題文に同じ量が出てくるからその公式が当てはまると思っている、あるいは先週の宿題の型を覚えている——そういうことです。
人の指導者は「どうしてその公式を選んだの」と尋ねられます。その一言が、本当の抜けをよく開きます。その子に必要なのは今日の課のさらなる練習ではないかもしれません。二章前の、欠けた一つの考えかもしれません。
学び方も、自動では苦しいところです。概念を見て分かる子が、文字ばかりの説明ではやはりつまずくことがあります。人の指導者はその場で図、たとえ、暮らしの中の例に切りかえられます。自動の道筋はたいてい、説明が一つ、それからヒント、それから解答例です。その並びがかみ合わなければ、その子は手順を写すか、分からないまま先へ進みます。
もっと静かな問題もあります。子どもは、自分が何を分かっていないのかをいつも分かっているわけではありません。ためらい、当て、ヒントを待ち、同じまちがいを少し違う装いでくり返します。指導者はその型をその場で見取り、授業を変えます。機械は不正解を見取ります。
ですから違いは、自動の道具が概念を説明できないということではありません。たいてい説明できます。違いは、1対1の指導者がその一人の学び手を見取り、説明を合わせて変え、その考えを試し、深く入るときと退くときを知っていられることです。
1対1の指導が「あればよいもの」ではなくなるとき

整った教材は、なお一週間の背骨でいられます。指導がどうしても必要になるのは、その子が課題を積み上げてはいるのに、そこを通る確かな道ができていないときです。
保護者が目を向けるとよいしるしはこれです。
課は終えられるのに、説明できない。 自分の言葉で言い返してもらう、あるいは教材の問題とは少し見た目の違う問題を渡してみてください。固まってしまうなら、概念を学ぶのではなく手順をこなしているのかもしれません。
同じ型のまちがいがくり返し戻ってくる。 説明を一度見直すのはふつうです。ヒントも解答も二度目の通しも経たあとで同じまちがいをするのは、その説明が本当の思い違いに届いていないしるしです。
量は増えているのに、理解は増えていない。 課をもっと終えることは、前進と同じではありません。正しさ、自信、自分でやれる度合いが平らなら、その子は踊り場にいるのかもしれません。忙しいのに、動いていないのです。
ヒントを待っている。 「どの公式を使うの」と絶えず尋ねる子、あるいは機械が押してくれるまで座っている子は、台本に従うことを学んでいます。解くという働きは、最初のヒントより前に始まります。
知っていることがつながらない。 月曜のやり方と木曜のやり方を思い出せるのに、二つの単元がどう結びつくのかを言えません。その「散らばった知識」は、あとの章がとつぜん無理に感じられるもっともよくある理由の一つです。今日の課が本当の問題ではありません。前の土台が欠けているのです。
目標は、整った課程を置きかえることではありません。人による指導がどうしても必要になるのは、課程が「何を学ぶか」をその子に示せても、「なぜ学べていないのか」を分かってくれる人をその子が必要としているときです。
Asymptodeの指導は Teaching Textbooks のような課程とどう組むのか
わたしたちは1対1の指導を、その子のいまの教材の横を並んで走る二つ目の課程とは考えません。そうなると家庭には、二重の宿題、混ざったやり方、そして一日に学校が二つあるように感じる子が残ります。
いまある課程が枠のままです。指導者は、その枠がこの子のためにはたらくようにする、一人ひとりに合わせた支えを渡します。
実際にはこうなります。
課程が、その子がどこにいるかを教えてくれる。 課、問い、確認テストは役に立つ知らせです。物理の章を進めていて、ある型の問題をいつも落とすなら、同じものをもっと出すことはしません。そのまちがいを使って下にある抜けを見つけます。たいていは前の章の、欠けた一つの概念です。
必要なところまでだけ戻る。 指導者はその土台を手短に築き直し、より明らかな理解とともに、その子のいまの課へ戻ります。そうすれば、本当の問題を直さないばらばらの説明や追加のプリントを、その子が積み上げることはありません。
指導の時間は的をしぼったままにする。 すでに分かっていることは教え直しません。時間は、もっとも効く抜けに向けます。思い違い、欠けた前提、ヒントを待つ習い、終えられるのに説明できない単元です。
結果は一つの道のりで、二本の線路ではありません。 課程が形を与えます。1対1の指導が見取りと合わせ方と深さを与えます。学びはより効くようになります。すでに知っていることをくり返さず、いま持っている範囲の上にまったく新しい範囲を始めるよう求められないからです。
こうしてわたしたちは、一週間をあふれさせずに、よい結果をめざします。その子は自分の教材を持ったままです。指導者は、その教材がほんとうに理解を生むように見ています。
保護者にはどう見えるか
算数・数学や理科の先生になる必要はありません。通知表が隙間をはっきりさせるまで待つ必要もありません。
役に立つ確かめは簡単です。
- 課のあと、画面を見ずにその考えを説明してもらってください。
- 同じ考えを新しい場面で使う問題を一つ渡してください。
- 考えはじめるのか、それともヒントや公式一覧や解答例を待つのかに目を向けてください。
その考えを言葉にし、持ち運べるなら、課程はその役目を果たしています。見たばかりの手順を再現できるだけなら、その子の考えを見られる人が必要です。
それがAsymptodeで行っている仕事です。一人の学び手、一人のメンター、その子の段階に合わせた歩幅の計画、そしてすでに従っている範囲に沿わせること。
この形の支えがお子さんに合うかをご覧になりたければ、落ち着いた最初のお話から始められます。こちらです: asymptode.com。近ごろの課題か、いつも落とす単元をお持ちください。まずお話を聞き、それから取りかかり、ご質問のための場も残します。
要点
- 自動の課程は、練習、採点、正しい手順を示すことに強いものです。その子の考えを読むことには弱いのです。
- 1対1の指導者は思い違いを見取り、説明を変え、その子が名づけられない戸惑いに気づきます。
- 危険信号には、課を終えても説明できないこと、同じまちがいをくり返すこと、ヒントを待つこと、つながらないやり方を集めてしまうことがあります。
- 指導は二つ目の課程になってはいけません。Asymptodeでは、いまある教材が形のままです。わたしたちは、その形がはたらくのを妨げている抜けを埋めます。
- めざすのはつながりです。余分な作業は少なく、理解は多く、そして次の課より先まで続く前進です。
よくあるご質問
Teaching Textbooks だけで足りますか
多くの子にとって、整った教材は課・練習・採点の毎日の仕組みとして力があります。足りないことが多いのは、課題は終えられるのに概念を説明できない、新しい問題に移せない、同じ型のまちがいをやめられない——そんなときです。その場合の指導は課程の支えで、置きかえではありません。
1対1の指導は Teaching Textbooks が教えていることを重ねますか
重ねるべきではありません。Asymptodeでは、いまある課程が枠のままです。指導者はその子の課とまちがいを使って欠けた土台を見つけ、その一片を築き直し、同じ教材へ戻ります。ねらいはばらばらの説明を減らすことで、二つ目の範囲表ではありません。
自動の仕組みと人の指導者の違いは何ですか
自動の道具はたいてい答えに応えます。正しい、まちがい、ヒント、それから正しい手順です。人の指導者は考えに応えます。なぜその子はそのやり方を選んだのか、前のどの考えが欠けているのか、先へ進む前に図が、たとえが、あるいはゆっくりした築き直しが必要なのか、ということです。
指導者を加える時期はどう分かりますか
踊り場を探してください。課題の量は増えているのに、正しさ、自信、自分でやれる度合いがよくなっていません。ほかのしるしは「どの公式を使うの」、始める前にヒントを待つこと、そしてすでに「終えた」単元どうしを結びつけられないことです。

